マクシーム・ゴーリキーは1868年に生まれた。学校にも行けず、10歳から労働者として働いた。靴屋の丁稚、汽船の皿洗い、鉄道工場など職場を転々としたが、こうした労働者生活は小説『母』にも反映されている。1892年からは本格的な作家生活を始めたが、1901年に反体制的作家だという理由で逮捕されている。さらに1905年にはツァーリ軍による血の日曜日事件に抗議したため要塞監獄に投獄されたが、海外の知識人からの批判を受けた政府によってほどなく釈放されている。その後ゴーリキーは革命を意義を伝えるため海外へ赴き、アメリカ滞在時に小説『母』を執筆した。レーニンとも親交があり、レーニンの勧めによってカブリ島に移住して以降、1936年に死去するまでその地で執筆生活を送った。
ゴーリキーは根っからのプロレタリア作家である。小説『母』では当時の労働者の生活が描かれている。長時間の重労働を強いられる日々の反復のなかで労働者たちが享受できるのは、せいぜい仕事仲間と酒屋で飲み交わすことくらいだ。労働者の権利も守られておらず、ここでは死なないために働くという、ゾーエー的な生があるだけだ。こうした初期の労働者は「はじまりの労働者」と言われるが、彼らの特徴は自分のこの苦境の原因が分からないことだ。搾取という暴力を強いる資本家に立ち向かうのではなく、パーヴェルの父親が母親を殴るように、その暴力は家庭内に向ってしまう。ここには丸山眞男が「抑圧移譲」と呼んだ現象が観察できる。固定化された階級構造のもとでは暴力は下の方へ流れていく。部活で三年生にいじめられた二年生が今度は一年生をいじめるようなものだ。母親ニーロヴナは、その抑圧移譲の下限的位置にある。
しかしながら息子のパーヴェルがこの抑圧移譲に絡めとられないのは、はっきりとこの苦境の原因がわかっているからだ。生きるか死ぬか程度の賃金しか支給しないにもかかわらず、過酷な長時間労働を強いられ、さらには沼地埋め立ての経費を追加徴収される。我々の苦境の原因は工場経営者だ。パーヴェルは仲間とともにこの不条理に立ち向かう。パーヴェルの父親が過酷な労働によって蓄積された鬱憤を家庭内暴力で発散するのとは違って、パーヴェルはこの不条理そのものに対峙しようとする。つまりパーヴェルにはしっかり、敵が見えている。ここには「はじまりの労働者」を脱しつつある労働者の姿がある。小説『母』は、暴力に従属させられ、状況を耐え忍ぶことによってしか生きることができなかった無教養な母親が息子たちの労働運動の理念に共感し、母親自身も覚醒するという設定をとるが、これは資本制の搾取の暴力が、家庭、そして家父長制においては劣位の地位に置かれる女性に及んでいることを示すものでもある。
さて、小説『母』の時代状況と比べて現代の労働環境はどのように考えればよいだろうか。新自由主義という呼ばれる弱肉強食を正当化する市場原理主義が席巻し、福祉のセーフティネットが削られ、労働者の生は不安定にさらされている。また新自由主義では自己責任が内面化されているから、不当な競争を強いるシステム自体に批判の目がいかないという問題もある。ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』(2019)は、一時はマイホームまで手にした中流家庭の崩壊を描いている。『家族を想うとき』の父親は配達業務を請け負う個人事業主として一家の再生に乗り出すが、実際は労働基準法も適用されない過酷な労働を強いられ、身も心もボロボロになるだけだ。父の仕事の不振がやがて家庭にも不和を生み、家族は一時崩壊寸前にまで至る。ここにもまた抑圧移譲がある。父親はいう。「俺たちはどうしてこうなったのかな」。この父親もまた家族の歪みの原因が分かっていない。新自由主義はわれわれをまた「はじまりの労働者」へと押し戻していくのである。