「日本3大奇祭」の一つとして知られる岡山の裸祭り「西大寺会陽」は、来年2月20日に開催することが決まった。福男を目指し、まわし姿の男たちが密集して「宝木(しんぎ)」を激しく奪い合う会陽は、新型コロナウイルス下での危険性が指摘され開催が危ぶまれていたが、関係者には500年以上続く伝統が失われることへの強い危機感があった。検討した結果、今回は争奪戦は行わず、人数を限定して福引形式とすることで開催にこぎ着けた。
一升マスに1人
「この大床だけでも毎年5千人が乗るんです」。西大寺会陽の会場となる西大寺観音院(岡山市東区)の本堂前。幅約15メートル、奥行き約9メートルの板間を指し、坪井綾広住職(44)は説明した。「一升マスに1人」ともいわれる高密度で、まわし姿の男たちが押し合いながら福男の資格を得る「宝木」を奪い合う異様な熱気がハイライトだ。
会陽の歴史は室町時代にさかのぼる。同寺では旧正月に天下泰平や五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願う法会「修生会」を行い、日数が満ちる「結願」を迎えると守護札を年長者のみに渡していた。しかし、御利益を得ようと参拝者らが札を奪い合うようになり、永正7(1510)年、守護札が破れないよう宝木に巻き付け、本堂の窓から人々に投下する形式とした。やがて、参拝者たちは体の自由が利くよう、まわし姿となり、宝木を奪い合う形ができていった。
今こそ祈りが必要
会陽は500年以上、一度も欠かさず行われてきた。第二次世界大戦中は徴兵で男たちの参加は減ったが、その分、女たちが水垢離(みずごり)をする「女会陽」に積極的に参加し、戦争の必勝祈願をしていたという。
令和2年は2月16日に開催し、約1万人の男たちが参加。コロナ禍は現在ほどの状況にはなく、綱渡りのタイミングだった。
しかし、いよいよ来年は開催が危ぶまれた。会陽を主催する「西大寺会陽奉賛会」と同寺は7月以降、協議を重ね、中止も視野に入っていたが、坪井住職は「本来、やるやらないのイベントではなく、神事。人々の不安が高まるなか、祈りがなくなってはいけない」と語りかけ、最終的には「コロナ禍の今こそ会陽の祈りが必要なとき」とまとまった。
ただ、争奪戦はリスクが大きいため形を変える必要があった。そこで、平成元年から令和2年までの福男の141人を招待し、その中から福引で選ぶ形式を導入することとした。